茶論 de データリテラシー

株式会社DataCakeBakerのブログです。
多くの事象がリンクして動き、ストレスを溜め、思いがけない変化が起こる。
データで読み、書き、そして語れる “データリテラシー” が求められています。Data.CakeBakerは、“データリテラシー”を高め、状況変更ニーズに対応できる、創発的発想法とアブダクテブ・インテリジェンスを支援します。

ブログデータで見る社会もよろしくお願いします

はじめまして(4) 課題先進国、日本の問題点

日本は、世界に誇る“課題先進国である”と言われる。例えば、この現在の日本の問題は何であろうか?

日本の失われた20年、日本人が稼ぎ出したGDPは、年間500兆円を挟んで上下し、横ばいしている。一方、ここ間、世界は、20年間で20兆ドルから60兆ドルと約300%に伸びている。日本は、1990年にバブルがはじけ、あれから20年間、稼ぎ出した付加価値はほとんど変化してこなかったのである。これが、事実を写した一つの鏡である。

問題とは、“在るべき姿と現在の姿のギャップである”と、H.サイモンやケプナー・トリゴー達が定義している。良く定義された問題は、この両方が明確に捉まえられた問題であり、両方が良く定義され、認識されていない問題は、病的、あるいは悪い構造の問題と呼ばれている。そして、問題を計算処理する立場から、サイモンは、病的な問題では、解決に向う良い道筋もまた見つけられないとしている。

現実を、リアル・ファクトを一つの鏡に映し表現されたものを、リアル・ファクト・データと呼ぼう。現状を理解できなければ、将来の希望やビジョンも描き難い。また、そこにたどり着くべき道も、探索することが困難である。辿るべき道が見えなければ、課題を設定することもできない。

失われた20年間、“日本のDGPが500兆円のままであった”というリアル・ファクト・データが示す“問題”とは何であろうか?

“課題先進国”を提起された元東大総長の小宮山さんは、「深刻な3つの課題」として、①高齢化、②地球温暖化、③需要ギャップとデフレ、を挙げている。これらの課題は、むしろ英語でいう Issue やAgenda に近い。つまり、議論し、解決策を検討すべきテーマリストである。

問題であるなら、まずあるべき理想と現実を、同時に定義するのが生産的である。
高齢化は、止められない。地球の温暖化も、12万年前から見ると冷えており、また直近でも10年間位は気温が下がっているというデータもある。またフランスで大統領が新しくなって原発も放棄されると、ドイツとの強調関係の鎖であったCO2問題も、崩壊する可能性がある。

では、これらの「3つのテーマ」は、どのように捉えられるべきであろうか?
確かに、これらは、従来に比べて特徴的であり、また中国などが数年後に同じ問題を抱えることになる共通性を持った有徴現象である。これらは、まず、問題とその課題や解を含む、「特異事象」と呼ぶのが妥当ではないだろうか?

問題は、解決するために、チャンスでもある。つまり問題は、トラブルだけでなく、プロブレムでもあるし、取り組むべき重要なテーマとしてのイシュウでもあり、その解を得るプログラムを検討すべきアゼンダでもあり、解かれるべき課題としてのジョブやタスクでもある。また、日本人は、正解のある規範的な課題を好む性向がある。
まず、日本語の“問題”や“課題”という言葉を、整理する必要がある。

例えば、もし日本が年間2%づつ成長して、いま、700兆円になっていたとすれば、高齢者事象も、温暖化事象も、デフレ事象も、ほとんど問題にはならなくなっていた可能性があるのではないだろうか。

はじめまして(3) 茶を囲む炉端談の座は建つか?

いま、社会が歴史的な曲がり角に来ていると、みんなが云う。

非連続な時代、とんでもない事件が突発し、どんどん常識が覆される。
科学権威が失墜し、社会制度が崩壊し、あらゆる人工的仕組が揺らぎ、その意図を裏切った振舞いを見せている。

現在が、判らないのに、将来や、夢を語れない。
いま、何をすべきか?
そして、どこに向かうべきか?

日本人は、議論が下手だと、云う。
確かに、”正”対”反”として、立場を構えて正面からぶつかるディベートのような議論は、緊張しすぎる。
しかし、囲炉裏を囲んで、ゆっくり話しをした炉辺談義が、懐かしい。

むかしは、渋茶をすすりながら、年寄りや若いもんが、越し方行く末を、論じ合ったものだ。
そこには、言葉による会話という、優れた言語リテラシーによる、”ゆったりとした場”があった。
そして、そこには、楽しみや適度な興奮と、知的な刺激さえあった。

 現実の問題をどのように理解し受け止めるのか、そのためには、どのような場を用意し、どのような談義の形式がよいのか?
リテラシーは、本来、”読み、書き、伝える言語のスキル”である。
しかし、この複雑な社会を理解するには、言語という主観的な記号の他に、事実を冷静に伝える記号も必要と思われる。

”データを読み、書き、そしてデータで語れる”、いわば「データ・リテラシー」とでも云うべきスキルを提案したい。
むかし、寺子屋のカリキュラムでも、”読み・書き・ソロバン”があったではないか?
感情的な言語だけでは伝わる範囲が限られる。データだけでは、真意が伝わらない。その統合が望ましい。

 我々は、こうした”データ・リテラシー”の向上のための方法とシステムの開発を志向中のベンチャーである。
このブログでは、”データ・リテラシー”とも云うべきスキルを鍛えるための、考え方や、方法、そして、仕組についても議論したい。

一人でできることは限られる。一つの企業だけでは、世の要求するスピードに着いて行けない。
みなさまと意見を交わし、できれば、知識創造につながる”データ・リテラシーを育てるような議論ができる場”としたい。
むかし田舎の民家で、古老達が囲炉裏を囲んで、老若男女が楽しんだような、炉辺談義の座が建てられかどうか、と思っております。

はじめまして(2) さつき晴れの空に舞う蜘蛛達を見上げる

ゴールデンウイークでは、谷川岳の麓、水上温泉での不思議な光景を思い出す。遅めの朝食の後、駆け流しの湯船から逆光の中の緑の山肌を見上げていると、やがて五月晴れの天空に向って、細い銀の筋が、一本、一本と、しかし無数の糸が静かに舞い上がって行くのが見える。それは、小さな蜘蛛たちが、一尺位程の糸を立ち登らせて、谷から立ち上る風を捉えて、山を越え遠く旅立つ、その瞬間の一斉の群舞である。それは、きらきらと澄んだ空気に溶け込みながら、天高く舞う、感動的な瞬間である。

 航海から帰ったC.ダーウィンがイギリスで観察したのは、ミミズの感動的な行動であった。木の葉を咥えて自分の巣穴に引き込むのを見ていた彼は、データを採る。227個の巣穴に引き込まれた葉や枝のうち188個、何と80%が細い角からくわえ込まれていたのである。そこで小さな紙を幾つかの三角に切り分けて、ミミズの巣穴の近くにばら撒いたのである。彼らは、材料は違っても、一番尖った角度を探し咥えて、自分の巣穴に曳き込むことに成功する。ミミズは、巣穴の湿度調節のために、”試して、評価し、判断し”、最適解を得る行動を選択していたのである。これが、最近の計量行動学や進化心理学の基礎となったと言われる。

 人は、言葉を覚え、数字を発明し、環境から素直に意味ある情報を得る術を失ったのではないか。むかし、天竺の国で、お釈迦様が1000人の弟子達を前にして、1本の蓮の華を捻って見せたという。そのとき、ただ花葉上人ただ一人だけ、微笑をもってそれに応えられたという。いわゆる不立文字による、禅宗の始まりである。言葉を否定して、自然をあるがまま受け入れる悟りのために、ただひたすら座禅に打ち込むことを最優先とするカリキュラムの道場修業の始まりとされる。

 人は、普通、生まれながら問題に囲まれ、つねに状況の変更を願いながら生きている。しかし、脳を持たない蜘蛛やミミズが、環境に埋め込まれた無限の情報の中から、意味のある情報を抽出し、役に立つ知識を紡いで、ごく自然に状況を評価し、判断し、一連の行動を選択し、実行している。
 しかし、人は、生活のレベルを上げるため、不器用にも、集団を組んで、目標を持ち、協力して努力を重ね、その成果を手にする。ただ、努力の積み上げに対し、成果を仲間と分かち合う喜びを、文化として獲得してきたとも言える。そうした活動を容易にするため、言葉やデータを積み上げ、だれでも使える道具としての知識、つまり技術を獲得してきたとも言えるかも知れない。

 こうした、言葉や数字を手に入れた替わりに、つねに“問題”に囲まれるという状況に到ったことに、人は天に感謝すべきであろうか。それが人間の性として、また宿命でもあるとするならば、そうしたことを素直に受け入れ、努力し挑戦するのも、一興ではなかろうか?

はじめまして(1)  まあ、新茶でも一服どうぞ。

明日、5月4日は、緑の日、いわばグリーン・デイである。
グリーンという色は、”進め”でもあるし、最近では環境問題やその”注意信号”としても使われ、いろいろなメッセージを持っている。

日本では、緑は青でもある。
”目に青葉、山ホトトギス、初カツオ”と来れば、目も耳も舌も、そして涼しげなクリスタルグラスに注がれた新酒を連想すれば、喉も鼻腔も、五蔵六腑に響き、愉しい友達との清談の車座も建てたくなる。

人は、想像できる動物である。人だけが想像することができるといわれる。・・・本当ですか?
想像は、現実ではない現実と隣接した架空の状況である。

それゆえ、愉しみや愛憎や恐怖は、現実と想像の間を往復することで、それらが増幅されてゆくといわれる。
現実ーリアルファクトーを、どのように捉えるか、そこから何を連想して、どのような意味を見つけ、判断をして、行動を選択してゆくか?

いま、眼前の緑が広がる木々や草花を前にして、何を感じ、どのような行動を起こすか、それは、一匹の蜘蛛やミミズのような虫や小動物が選択する行動に比べ、想像力だけでなく、言葉やデータまで手に入れ、逃れようがない性を持ってしまった人間として、”データ・リテラシー”というテーマを考えてみたい。

まあ、新しいグリーン・テイで、気分を一服し、ぼちぼちと、始めましょう。

連環データ分析で音楽産業の新しいポジションを探る 第8回(最終回)

さて、八回に渡ったこの記事のシリーズも今回で最終回である。
第7回と第8回では、音楽産業の新しいポジションとして、αポジション、βポジションを挙げ、そのビジネスの具体例を挙げた。

これに関しては、異論反論などがいろいろあると思う。
いや、我々は音楽ビジネスに関しては、素人である。また、使用したデータも、一般に公表されているものの一部に過ぎず、プロのマーケッタの方や音楽を楽しんで居られる方々から見れば、納得できない点や気になる点が少なからず見受けられると思う。

このような、問題点をわきまえた上で、我々がこのような記事を書いてきたことには、二つの目的がある。それは下記のものだ。
①オープンイノベーションの場の実験
②連環データ分析の紹介

①オープンイノベーションの場の実験に関して
 我々は、このブログがオープンイノベーションによる提案のための場、つまり、新しいビジネスの仕組について、衆知を集めて議論するといった実験の場になること、そのためのデータの処理法や解釈に関する理解を深めることを、狙いたい。
 いま、CDが売れず、このままでは音楽産業が衰退し、結果として、作詞や作曲家等の創作活動家の著作料や、演奏家等の著作隣接権への利益還元が薄くなってしまう。それにより音楽を楽しむ文化自体も薄っぺらなものになって、社会全体の豊かさが失われるのではないかという、みんなに共通の問題を取り上げた。
 それを解決するための一方策の提案にトライした。これは社会のニーズを汲んだソーシャルイノベーションが求められている問題でもあろう。従って、この提案が正しいと考えているのではなく、この提案が多くの人々の興味を引き起こし、議論を呼び、衆知を集め、社会のためにもなる新しいビジネスモデルたたき台としての提示仮説である。
 そのため下記のコメント欄に、αポジションやβポジションで提案したものに対する、ご意見、ご反論、また新しい視点からの問題提起などを数多く頂けると、大変ありがたいと思います。

②連環データ分析の紹介
 今回、新しい音楽ビジネスとして、「インターネット上での、歌手と視聴者の音楽から始まるコミュニケーションの場の有料提供」、「シニアに対してのネット上での音楽番組をプロモーションを利用したCD販売」という二つの具体例を挙げた。
 これは、第一回目の記事で触れたように、連環データ分析により、As-is(現状)を確認することで、To-be(今後目指すべきポジション)を検討できる例である。連環データ分析は、思考し、議論するためのツールである。今回の具体的な二つのビジネスの仕組みの提案は、連環データ分析というツールにより可能になった。それも、一般に公表されているデータの一部を使用しただけである。

 つまりは「新商品、新サービスを開発するために、データはあるが、データをどのようにそれぞれの立場から意味のある情報に変換したら良いか、どのように現状を理解して、解の仮説をどのように得たらよいか」という問題を抱えている方々に、連環データ分析をオススメします。そのような問題や悩み抱えている方は、是非、こちらより、データ・ケーキベーカにご相談頂きたいと思います。データ・ケーキベーカでは、連環データ分析の無償版、有償版の提供、分析法のご相談やコンサルティングサービス提供などを行っております。
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データ・ケーキベーカHP
データケーキ・ベーカは、独自に開発した統合データ解析ソフトウェア「連環データ分析」による各種解析、またソフトウェアのレンタルサービスにより、世の中のデータリテラシーの向上に貢献し、イノベーションを支援するベンチャー企業です。
新製品・新サービス企画開発、ブランドイメージ・ポジショニング等でお困りの方、どうぞお気軽にご相談ください。

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